【アジャスター】 仕事道具を、工具から電話に持ちかえて。
PROFILE
- 小林慎
- 2013年1月入社
- プレミアワランティサービス株式会社
- アフターセンター統括部
- 第二アフターセンター センター長
国産車のディーラーにて15年以上整備士として勤め、その後【アジャスター】としてプレミアグループへ。
趣味は家族との旅行。初夏になると群馬県みなかみ町へホタルの鑑賞、11月は静岡県の伊豆高原でのんびり過ごすのが定番コース。好きなクルマはスカイラインGT-Rで、中でもR34モデルが一番のお気に入り。
転職のきっかけは、怪我と人事異動。
学校を卒業後、国産車のディーラーに整備士として就職し、普通車から軽自動車の整備まで、色々な車の整備をしてきました。整備士の仕事はとても楽しく、やりがいを感じていたのですが、ある日いつも通り作業をしていると首と腰にびーんとしびれるような痛みが走り、その痛みは日を増すごとに強くなる一方。痛みに耐えきれなくなり病院へ行くとヘルニアという診断結果が下されたのです。このまま整備士を続けられるのだろうか、自分のキャリアはどうなってしまうのだろうかと不安に思っていた時期に異動のお話しを頂きました。私が当初思い描いていたキャリアとしては、サービスフロント、副工場長とキャリアを積み、最終的には工場長になれれば、と考えていたのですが「向いているからやってみないか。」と提示頂いたのは“営業”の仕事。ヘルニアになってしまったので、重整備は難しくなってしまったものの、技術者としてクルマに関わりたいという想いを諦めきれず、転職を決意しました。
35歳。自分が変わる最後のチャンス。
首と腰が辛くて重整備は難しい。でも、技術者としてクルマに関わりたい。そんな想いを胸に、転職活動は同業社を4・5社ほど受けたと記憶しています。思うように転職活動が進まず悩んでいると、妻から、「この仕事なら、あなたの経験が活かせるんじゃない?」と紹介してもらったのが今の仕事、プレミアグループの【アジャスター】でした。20年近く現場で働いていたので、オフィスワークをする自分を想像できず、少し迷いはありましたが、整備士としてではないけれど技術者として今まで培ってきた自分の知識と経験を十分に活かせることができるのではないか。当時35歳だった私は、自分が変われる最後のチャンスかもしれないと思い、アジャスターという職種にチャレンジすることにしたのです。アジャスターはクルマの故障内容を精査して、当社保証サービスの適応範囲内かどうか、整備工場様や販売店様から頂く修理の見積もり金額が適正かを判断をする仕事。お客様とは主にお電話でお話をするので、以前であれば「ここにオイルの滲みが…」と実際の状況をお見せしてご納得頂けたことが、アジャスターではそうはいきません。電話の向こうにいるお客様に対して、端的に分かりやすく伝える技術が求められます。当初は使い慣れていた専門用語をついつい使用してしまったり、思ったように言葉が出てこなかったり、こちらの意図が思うように伝えられず、相手に理解してもらうように伝えることの難しさを痛感する毎日でした。
人が相手、解決できないことはない。
初めに意識したのは、笑顔ならぬ“笑声” 。電話の向こうにいるお客様が、私の声を聞いて「あ、この人笑顔で私の話を聞いてくれているんだな」と感じて頂けるようなトーンで話すよう心がけています。大事なのは、ただ単に、事実をご説明するということではなく、ご納得いただくということ。丁寧に、誠実にご説明をして、「当社を担当してくださる小林さんが言うのであれば、納得です!」と販売店様がおっしゃって下さったり、「修理費がいくら掛かるか冷や冷やしましたが、話を聞いてもらって安心しました」と電話口からご契約者様の感情が伝わってくると達成感を感じますね。面白いことに明るい口調で電話応対をすると、部署全体もパッと明るくなって活気づくんです。たかが声、されど声。少し意識するだけで部署がこんなに変わるなんて、この仕事は奥が深いな、とこういった場面からも気づかされます。我々の仕事は人が相手の仕事ですから、相手が100人いたら100通りの答えがあり、「絶対」や「正解」はありません。だからこそ心の持ちようがとても大事。楽しくするもしないも全て自分次第、どんなことでも「解決できないことはない!」というのが私の持論です。オフィスワークなんて考えられない、自分に向いていない、と思っていた20代・30代の頃から180度変わり、この仕事にやりがいを感じていることに、私自身とても驚いています。最後のチャンスだと思って飛び込んだ新しい世界に、今とても満足しています。
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